「なんで私ばっかりこんな目に遭うの?」と思っていた私が、いま伝えたいこと
父に殴られ、友達もいなかった私が、文章で人生を変えた話
「なんで?私ばっかりソンしてるの」
「なんで自分がこんな思いしなきゃいけないの」
そう思ったことが、一度もないって人はいないと思う。
「なんで自分だけこんな目に遭うの?」
「なんでこの家に生まれてきたの?」
「なんでこの親なんだろう」
「なんであの子が選ばれるの?」
「なんでアイツばかりモテるんだ?」
「なんでこんな会社なんだろう」
「なんでこの上司の下で働かなきゃいけないの?」
さらには
「なんでこの人と結婚したんだろう」
「なんで?こんなはずじゃなかったのに……」
なんてこともあるあるだろう(笑)
私にもある。
いや、ある、どころじゃない。
子どもの頃の私は、本気でこう思っていた。
「神さまって絶対いじわるだ」と……。
布団の中で、声を殺して泣いた夜は数え切れない。
私は、父親に可愛がられた記憶がない。
それどころか、たくさん怒鳴られたし、たくさん打たれた。
これは、愛のある教育でもしつけでもなかった。(しかも貧乏)
夜、固い布団にうずくまりながら何度も何度も
「なんで、私はこんなお家に生まれてきたの」
「神さまって本当にいじわるだ」
と呪った。
そんな家庭環境で育った私はいつもビクビクしていて引っ込み思案で
自分の意見や思いを口にすることもできず、友達もいなかった。
クラスの中で、私は「存在しない子」「空気みたいな人間」だった。
でも、あるとき
国語の授業で「作文を書く」という課題が出た。
テーマは自由でいいといわれ
わたしはそれまで口にすることのできなかった自分の考えや思いを文章に綴った。
文面には素直に自分の気持ちをぶつけることができた。
そこは自分の気持ちを正直に書いても
自分の思いを言葉にしても
誰もわたしをぶたないし、大声で叱ったりもしない。
誰もわたしを脅かさない。
文章の前でわたしは自由になれた。
すると、奇跡が起こった。
その出来上がった作文を、わたしの文章を、先生はみんなの前で朗読したのだ。
先生が作文を読み終えると拍手の音が教室中に鳴り響く……。
クラスのみんなが拍手をしてくれたのだ。
「作文、よかったよ」
「すごく伝わった」
「桃ちゃん、今度いっしょに遊ぼうよ」
それまで誰も声をかけてくれなかったクラスメイトたちが、
次々とわたしに声をかけてきた。
その瞬間、クラスでまったく存在感のなかった人間は
生まれて初めて「人にわかってもらえた」と感じた。
誰かに共感してもらえることが、こんなに嬉しいなんて。
気持ちが伝わるって、こんなに涙がでることなんだ。
それまで父親から叱られ続けてきたわたしは
悔し涙や悲し涙しか流してこなかった。
嬉しくても涙が出るんだとはじめて知った。
たった一つの作文で友だちができた。
いうなれば人間関係が変わった。
言葉で、文章で、人生が変わる。
その原体験は今の私の仕事や生き方にまで、ずっとつながっている。
(※桃子エピソード:その後、父親は借金を残して蒸発してしまうのだが、
今回は書ききれないのでまた機会があったらお話したいと思う)
わたしは気づいた。
辛いことがあるから喜びは倍になるんだと。
もし私が、父親の愛情いっぱいに、何不自由なく育っていたとしたら、
もし私が、明朗活発でクラスの人気者だったら、
——きっと、あの感動体験は得られなかった。
惨めで、寂しくて、愛に飢えていたわたし。
誰も友達がいなかった分、できたときの喜びは大きかった。
孤独を知っていたからこそ、
人にわかってもらえたとき、あんなにも感動を得られた。
これ、実は全て同じことなんだ。
たとえば
ずっと明るい部屋にいる人は、光のありがたみを感じない。
ずっと健康な人は、健康のありがたみが分からない。
喉がカラカラになるから、一杯のお水がおいしい。
人生には「比較対象」があるから、喜びを感じられるのだ。
「陰と陽」「山あり谷あり」があるから、大きな感動を味わえるのだ。
だから私は、こう思うようになった。
神さまは、人間に苦しみ自体を与えているんじゃない。
感動できるように人を育てているんじゃないか、と。
苦しみのうんと先にある喜び。
それこそが、人生のごほうびなんじゃないかと。
ーーもしあの時の私が、親の愛いっぱいに育って、クラスの人気者だったら
文章を書く喜びも、
人に自分の思いが伝わる感動も、
人に共感されたときの感動も、
心から味わえなかったと思う。
嵐の夜、心細い夜を味わったからこそ、
朝日がありがたく感じられるように。
人は、苦労したから優しくなるんじゃない。
辛い思いをしたから人の痛みに気づけるようになるのだ。
だからわたしはいろんな媒体で文章や記事を書いてきた。
人の悩みや人の言葉にできない胸の内を代弁してきた。
人間関係のズレ・摩擦、男女関係・夫婦関係のすれ違い、
人間模様、人の感情の変化を書いてきた。
これはあの日の作文から繋がっていたのだ。
16年間、コラムニストとして、
セミナー講師として、言葉を仕事にしてきた。
でもその根っこにあるのは、あの日の教室での出来事だ。
もし今、辛いことの真っ只中にある人がいたら、
もし今、苦しい人がいたら。
「この経験には意味がある」なんて、今すぐ思わなくていい。
そんな余裕、ないと思う……。
でも、どうか忘れないでほしい。
今日流した涙は、
未来のあなたが、誰かを救う言葉になる日が来る!!
だって、私がそうだったから。
これからも、こうやって
「言葉」と「人生」について、私自身の経験も交えながら綴っていきます。
もしこの文章があなたの心に触れたなら、
登録や購読していただき、これからも読んでもらえたら嬉しいです。
言葉で、文章で、あなたと繋がることがわたしにとっての喜びなのです。
神崎桃子




桃子さん、僕も小学校のとき、クラスで空気のような存在だったので、気持ちわかります🥺
桃子さんは文章が救いだったんですね👏
深く共感しました。私も次男の死や、長男との不和をサブスタックで記事に書き、言葉にする事で救われ、心が癒されています。